その日、私は当時の上司に
「お話があります。」
と、言って2人で会議室に入りました。
会議室は、そんな感じの密会でよく使っていた場所です。
会議室で私は、懐から「退職願」を出し、
「辞めたいので、よろしくお願いします。」
と、言いました。
前にも書いたとおり、私はこの会社が気に入っていて、この頃そこそこの地位をいただいていて、収入もけっこうありました。
「びっくりするやないか、こんなん受け取れんぞ。」
と、上司は取り合えず、止める姿勢をしてくれました。
これはとても有難かったです。
私のようなものを、慰留してくれるなんて、感謝しかありませんでした。
でも、私にはかつてから決めていたことがあります。
それは、
「やめると言い出したら、絶対やめる」
と、言うことです。
この会社は、世間に誇れるキレイな商売をしている会社ではありません。
この会社の報酬が高額なのは、世の中にあまり受け入れられない汚れた面を請け負っているからです。
なので、多くの社員が、この会社に勤めていることを他人に知られないようにしているのです。
会社を出るとバッジを外すのは当たり前ですし、電話帳に自分の名前も載せられません。(今では電話帳に名前を載せない方が当たり前ですが、当時は載っているのが当たり前の時代でした。)
忘年会や飲み会などで、会場を手配するときも、会社名じゃなく、別の団体名を名乗ったりしていました。
社員の中には、家族にもこの会社に勤めていることを内緒にしているという人もいましたね。
そんな雰囲気なので、社内には絶えず不満が蔓延しているのです。
多くの先輩たちが、いつかやめてやる、オレはこんな会社に勤めるべきじゃなかったといつも言っていました。
多額の報酬を受け取って、贅沢に暮らしているのにです。
そんな先輩たちを見て、それなら明日にでも「辞表」を書けばいいじゃないかと、私はいつも思っていましたが、そんな人に限って、なかなかやめないんですよね。
いつも不平不満を言いながら、仕事も半人前のくせに、高い給料をもらって会社の悪口を言っていたのです。
「いつかやめる。」
でも、決してやめない彼らを私はとても「みっともない」人たちだと思っていたのです。
私は彼らのような、みっともない人間にだけはなりたくなかったので、1度「やめる」と口に出したらその時は必ず辞めてみせると決めていたのです。
この時こそ、その時でした。
「もう、決めたことですから。」
私は会議室を出て、とてもスッキリしました。
いよいよ、新しい人生が始まるのだと・・・、
もう、お金に困ることは無いと、
確信していました。
しかし、そう簡単にはやめさせて貰えなかったのです。
今度は、私がやめると聞いて、東京の役員がやって来たのです。
「お前は、やめて、何をするんだ」
と聞かれ、
「はんこ屋になります。」
と、答えました。
自営業は、サラリーマンと違って安定してないし、やることの全てが自分の責任になる。
社会保険も、年金も、自前で払って行くんだぞ。と、
とてもその商売が繁盛するとは思えない。
こんな楽な仕事をやめてまで、その「はんこ屋」で今の数倍くらい稼げる、その確信がお前にあるのか?
そんなことを考えるのは、とんでもない阿呆だ。
そんな風なことを言われました。
お前の行きたい部署、やりたい仕事を、この会社でいる限りオレの人脈で、何処にでも行かせてやる。今すぐ東京に来い。と、まで、この人は言ってくれました。
とても魅力的な話だったのですが、私は「やめる」と決めていたので、
「やめることをちらつかせて、人事異動をさせるなど、そんな卑怯者にはなれません」
と、その話を断りました。
役員は烈火の如く怒り、
「好きにしろ、お前のことはもう知らん」
と、すごい剣幕で出て行きました。
私は、まさかここまでの気持ちで、止められるとは夢にも思わなかったので、とても有難かったし、涙が出る思いでした。
しかし、この会社を去ることになりました。
会社をやめてから、少しして、東京に行く機会があり、この役員に連絡を取ってこのときのお詫びと、止めてくれたお礼を言おうと連絡したのですが、
「お前なんか知らん」
と、会ってもらえなかったのは、少し寂しかったです。
では、
次回はいよいよ、はんこFCとの出会った経緯を書くことにします。
今日は思いがけず、全然関係ない話を長々してしまいました。
でも、こんな話もしておきたかったのです。
お付き合い、ありがとうございました。
(つづく)
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